チェンマイで悠々として急げ!

カレン族の村から迷い出たクンター(爺様)のよれよれ、とぼとぼ「再生記」

カテゴリ: 新たなる出会い

金のガネーシャ


 時計の針が回れば、いきなり年が改まるというのもおかしな話なのだが。

 ま、大方の人類の掟に従って「謹賀新年!」

 タイ語では、サワッディピーマイと申しまする。

     *

 さて、昨日は日本からの客人の観光案内をしたあとで、相棒の女房の叔母さん、すなわちアパートの大家さんに招かれて忘年会に参加したのだけれど。

 なんと、妙齢の5人姉妹に囲まれて、至福の時を過ごすことになった。

 と言いたいところだが、60〜70代の美女5名、やけに元気で酒にも強く、北タイなまりの早口で勝手放題に喋りまくるものだから、ほとんど理解不能。

 適当に相づちを打ちながら、久しぶりの旨い家庭味ナムプリックで生野菜、焼きたこ、蒸し海老などに専念していたところ、勧められるままに飲んだビールで急に酔いが回ってきた。

 逃亡間際、誰かが「ウチの娘はまだ独身だよ」と迫ってきたのは、気のせいだろうか?
  
 ともかく、今年も何が飛び出すか分からないクレイジー、も、もとい「アメイジング・チェンマイ」、大いに楽しみかつ味わうことにしよう。

★クンター、本日のおすすめ!


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ちょうど1年前の今日。

僕は山奥の村を離れて、チェンマイ郊外の田舎町に移り住んだ。

11年間共に暮らしたカレン族の妻と別れのハグを交わし。

着替えを詰めた小さなデイバッグとパソコンバッグだけを手にバイクにまたがったあの朝のことを思い出すと、すべてが淡々としていたことに、逆に驚いてしまう。

前夜の出来事が直接的なきっかけになったとはいえ、おそらく僕はいつかその日が来ることを予期していたような気がする。

ジャイローン・マーク(気性が激しくせっかち)な妻も、僕がついに我慢の限界を超えたことを悟ったように静かだった。

そうして、僕は心優しき釣り人が川に戻してくれた魚のように、一瞬だけ軽いめまいと戸惑いを感じただけで、自然な時の流れに乗ってチェンマイでの暮らしに溶け込んでいった。

    *

極度の不眠症があった。

突然の視力減退に見舞われた。

座骨神経痛と両足の浮腫に苦しんだ。

それらと格闘しながら、僕は毎月のように情報紙『CHAO』の特集記事を書き、憑かれたように4冊の電子書籍を出版し、タイの運転免許を取り、中古のバイクを買って行動半径を広げていった。

山奥に住んでいたときには成し得なかった文化的な活動にも取り組み、その過程で人とのつながりを深め、広げていった。

そして今は、1年前には考えもしなかったタイ語のおさらいに熱中し、新しいメディアへの執筆にも挑んでいる。

    *

妻を亡くしたあとの「生き直し」を賭けた山奥での11年間を振り返ることは、まったくない。

考えているのは、今日と明日のことだけだ。

すこし疲れたら、バイクを飛ばして近郊の温泉に浸かりにゆく。

郊外の山には、自然のままに暮らす仔象ラッキーや新しく友達になった野生の仔猿もいる。

たまには、妙齢の美女とも触れ合わねばなるまい。

そうして、さほど遠くない日にタイランドの空と土に戻ってゆく。

心残りといえば、山奥の村のあの雑木林の焼き場から抜けるような青空に向けて昇ることができなくなったこと、だけである。

★クンター、今日のおすすめ!


コーカイ


「ああ、あたし、もうダメ。今日からもう、日本語ダメ、タイ語もダメ、ぜんぜんダメ、教えられません。だって、彼が、彼が・・・別の彼女のところに行ってしまいました!ウェーン!」

思い返せば、すでに12年前。

ラチャパット教育大学日本語科の女子学生が、涙まじりの理不尽な「個人レッスン打ち切り」を通告した瞬間から、私のタイ語学習への情熱は冷却どころか、完全フリーズしてしまった。

その後迷い込んだ山奥の村では、文字の無いポーカレン語とカレン式発音のタイ語と超ブロークンな英語とが入り乱れて、くんずほぐれつ、七転八倒。

おまけに、こちらを金持ち日本人と勘違いして、怪しい家宝(?)の押し売りは来るわ、借金申し込み人は押し寄せるわ、黒豚や水牛の押しつけは後を絶たぬわ。

ええい、いい加減にしやがれい!

一切の雑音に耳をふさぎ、村でのサバイバルと日本語での本とブログの執筆に専念した結果、せっかく習い覚えた「コーカイ」(タイ語のいろはにほへと)なんぞも、すっかり忘れてしまった。

     *

ところが最近、バイクで山奥の温泉などを訪ねて走り回るようになって、はたと困った。

チェンマイ市街地周辺と違って、田舎にはないのですよお、英語の標識や看板が。

つまり、タイ語が読めないと何が何やら、どこがどこやらさっぱり分からんのである。

人に訊こうと思っても、犬や水牛やトカゲや象はいても、人の姿がまったく見当たらない。

そこで、はたと膝を打ったのですよお。

「そうだ京都行こう、も、もといタイ語を勉強し直そう!」

そういえば、あの有名なバイクツーリング・ブログ「GO! GO!キョロちゃん」の管理人Iさんも、わが山奥の宿にやってきたとき、そう言っておりましたなあ。

「タイの田舎でバイクが故障したり、事故にあったりしたとき、タイ語ができないとどうにもならない」と。

     *

そこで昨日、かつてはチェンマイ大学でも教えていたというタイ人のベテラン教師に頼んで、タイ語のおさらいをやってもらったところ。

ああ、なんとまたもや、あの恥ずかしい幼稚園レベルの「コーカイ」発音からやり直しという結果に相成った。

白板


文法


一番の問題点は、タイ語の5つの声調を中国語の「四声」と混同していたという点。

一見似ているようなのだが、これが大間違いだったというのですなあ。

ええい、面倒だ!

この教師は英語もうまいし、中国語もそこそこ喋るというから、一気に英語と中国語のミックス授業に切り替えてもらおうか。

とも思ったのだが、それでは田舎のタイ語看板は読めないし、タイ語で女性を口説く、も、もとい「泰日心の交流」という美しい長年の大望も果たせない。

うーむ。うーむ。うーむ。

と昨夜から唸り続けた挙げ句、今日は大雨だからバイクツーリングにも行けず、やむなくやっとるのですよお。

ゴーガイ(鶏のに)、コーカイ(卵のた)、コーコン(人のひ)・・・。

ああ、あのとき、あの女子学生が失恋さえしなければ。

ナッケー!(カレン語で困ったもんだ)


★クンター、本日のお薦め!


看板

言わずと知れたターニン市場のそばに、「ガガガ咲か場」という奇妙な名前の和風居酒屋がある。

ここで「炙りしめ鯖」をつまみにビアレオ(豹印ビール、タイ人はリオと発音する)なぞ飲みつつ、ふと酔眼をあげれば、細道を挟んだ向かい側の夜空に、白地に赤黒を配したなかなか洒落た看板が滲んだようにふわっと浮かび上がるのである。

「Bar夜食堂」

女将の名前はノッケウ(日本語でオウム)という。

    *

私の愛人である。

と言いたいところだが、非常に残念ながら10数年来の付き合いの娘のような存在だ。

かつては、チェンマイ門そばで「タイウエイ・ゲストハウス」という安宿の女将をしていた。

旦那のウイさんは元陸軍スナイパーで、優秀なシューティング・インストラクターかつガンスミス(修理職人)であった。

二人の幼い娘を連れて、わが山奥の村を訪ねてくれたこともある。

だが、きわめて悔しいことに、彼はまだ若くして先に逝ってしまった。

それから、おそらくさまざまな想いと葛藤があったことだろう。

そうして、今年の4月、ノッケウは「「Bar夜食堂」の女将として、再び復活した。

酒棚


ところで昨夜、ちと不思議な店名の由来を訊いたところ、「なるほどなあ」と唸らされた。

私自身は、小林薫が主演した「深夜食堂」というドラマのタイトルから取ったと思っていたのだ。

ところがノッケウは、こう言う。

「私はお酒を飲んでいると美味しいものが食べたくなる。そして、美味しいものを食べるとますますお酒が美味しくなって、夜がますます楽しくなるんです。だから、ついつい人にも『美味しい夜食、どう?』って勧めたくなってしまう。だから、夜食堂」

ね、なかなか温もりのあるネーミングでしょ?

    *

黒板品書きのとおり、良心価格である。
メニュー黒板


女性が一人で行っても安心できる健全な雰囲気だ。

外観


BGMのセンスも光っている。

何よりも、女将が元気なのがよろしい。

どうか、可愛がってやってください。

さて、今夜の酒と夜食、「Bar夜食堂」でどう?


★クンター、本日のお薦め!




1


「狂恋 in 立山」と題したAmazonの読者レビューには、大いに励まされた。
 
 書いたのは安曇野在住のノンフィクション・シンガーソングライター、義田バサラ氏だ。

 正直に言えば、5月に出版した電子書籍『狂恋 in ニューヨーク』は自信作とは言えなかった。

 最後の最後まで、フィクションにするか、ノンフィクションで行くか、迷いがあったからである。

 そして、結局は「自分の書きたいように書く」というこだわりに従って、10数年前のニューヨーク体験にケリをつけることにしたのだ。

 そのヤケクソとも言える決断によって、『「遺された者こそ喰らえ」とトォン師は言ったータイ山岳民族カレンの村で』『狂龍(クワンロン)』『狂恋 in ニューヨーク』の“海外迷走3部作”はついに完結を見た。

 このわがままな作品提示を、バサラ氏は丸ごと受け止めてくれた。

 瑕瑾と思える箇所ですら、独自の感性で見事に掬い上げ、かつ救い上げてくれた。

 芝居や音楽なら、その場で見る人、聴く人の反応を知る事ができる。

 しかし、書くという行為は実に孤独な作業である。

 だからして、たった一人でも書き手の理解に努めてくれる読者がいるという事実は、限りない勇気を書き手に与えてくれるものである。

 極論すれば、「これで、いつ死んでもいい」と思わせてくれるのだ。

 そして、その思いは、また再び孤独な作業に没頭するだけの力へと変わってゆく。

 つまり、この読者がいる限り私は書き続けなければならないのである。

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「狂恋 in 立山」by義田バサラ

標高2450m。立山の主峰雄山の中腹に日本で一番星に近い駅「室堂」がある。
男はその場所で現在と過去の区別もつかないまま、彼女という未来の扉を開く鍵を探し続けている。

男は58、彼女は22。そして、それはまさしく「狂恋」・・・。

「共生と再生」という旗印をかかげ、作家は時に雄々しく、時に女々しくジュディという宝石を探し求める。漸く手に入れた安寧の時は、まるで驚いた猫のように一瞬で姿を消してしまう。それでも、作家は傷だらけの4回戦ボーイのように運命の糸をたぐり寄せようとする。

しかし、作家の戦いはあっけなく終わる。そこには有り体の恋愛小説に不可欠な圧倒的なトラジティも心踊るハッピーエンドも存在しない。ニューヨークのホテルの一室のベッドの上に引かれた作家とジュディとの境界線。作家はそれこそが二人の魂の境界線だったと気づいたのではあるまいか。3度目のニューヨーク行きを実行する気さえ失せる程に。

そして、ノンフィクション・ノベリストとしての作家の真骨頂もここら辺りにあるような気がするのは私だけだろうか。フィクションに慣れた私はどうしても絵に書いたような結末を求めてしまう。作家はいつもそいつを裏切って見せる。

ノンフィクションに結末などありはしない。
強いていえば、今、今日この時を生きることこそが結末なんだと。

★クンター、本日のお薦め!

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