チェンマイで悠々として急げ!

カレン族の村から迷い出たクンター(爺様)のよれよれ、とぼとぼ「再生記」

2019年11月

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ガイドブックには載っていないような“チェンマイの知られざる魅力”を、より多くの人に伝えたい。

そんなコンセプトに沿って、今月から半年間にわたり、月1回の連載記事を書くことになりました。

本日掲載の第一回目テーマは「象と人のためのサンクチュアリ」。

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毎月の掲載は、18日前後になる予定です。

本当かどうかはまだ不明だけど、多くの人が読んでくれればくれるほど原稿料がぐんぐん(?)上がる可能性があるのだとか。

宝くじがなかなか当たらない爺様救済のためにも、ぜひたくさんの人に勧めてくださいな。

検索は、以下をコピー&ペーストでよろしく!
https://tabicoffret.com/overseas/thailand/

★クンター、今日のお勧め!



祖母と孫


陰暦12月の満月の夜に発祥するローイクラトン(灯籠流し)は、水の女神に感謝の祈りを捧げ、自らの心や身体の穢れを洗い清めるための伝統行事である。

近年、某新興仏教団体が資金集めのために始めた無節操な「大量コムローイ(熱気球式紙風船)揚げ」が他にも伝染して、コムローイ祭りなどという笑止な呼称で多くの観光客を集めているが、その入場料がタイ人が眉をしかめるほどに法外なものであることを認識しているツーリストは少ない。

ローイクラトンという本来の祭りにとって、コムローイ揚げは爆竹や花火と同様に祭りを賑やかす添え物に過ぎず、紙風船そのものはそこいらの雑貨屋などで100バーツ程度で買える代物だ。

時期もローイクラトンに限ったわけでなく、それぞれの祈願や祝い事の折り折りに、家族や仲間と共に思い思いに揚げる習わしだった。

そんな代物を、いくら伝統の踊りや料理がセットになっているとはいえ、5,000バーツ前後のチケットを売り出して観光客を一カ所に集め、その集合美でもって目をくらます詐欺まがいの商法横行に疑問を呈するタイ人は数多い。

それへの抗議表明の一環として、有料会場の周囲に無料の観覧席を勝手に確保して無料見物を楽しむタイ人(日本人も?)も増えて来た。

若い家族


提灯


昨夜、スマホ専用アカウントで紹介したドーイサケット池ほとりでの入場料無しの試みもその一つだ。

といったような背景を知った上で、この美しい伝統行事を楽しむ人が増えれば、チェンマイに暮らすタイ人たちも大いに喜ぶことだろう。

★クンター、今日のおすすめ!

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ちょうど1年前の今日。

僕は山奥の村を離れて、チェンマイ郊外の田舎町に移り住んだ。

11年間共に暮らしたカレン族の妻と別れのハグを交わし。

着替えを詰めた小さなデイバッグとパソコンバッグだけを手にバイクにまたがったあの朝のことを思い出すと、すべてが淡々としていたことに、逆に驚いてしまう。

前夜の出来事が直接的なきっかけになったとはいえ、おそらく僕はいつかその日が来ることを予期していたような気がする。

ジャイローン・マーク(気性が激しくせっかち)な妻も、僕がついに我慢の限界を超えたことを悟ったように静かだった。

そうして、僕は心優しき釣り人が川に戻してくれた魚のように、一瞬だけ軽いめまいと戸惑いを感じただけで、自然な時の流れに乗ってチェンマイでの暮らしに溶け込んでいった。

    *

極度の不眠症があった。

突然の視力減退に見舞われた。

座骨神経痛と両足の浮腫に苦しんだ。

それらと格闘しながら、僕は毎月のように情報紙『CHAO』の特集記事を書き、憑かれたように4冊の電子書籍を出版し、タイの運転免許を取り、中古のバイクを買って行動半径を広げていった。

山奥に住んでいたときには成し得なかった文化的な活動にも取り組み、その過程で人とのつながりを深め、広げていった。

そして今は、1年前には考えもしなかったタイ語のおさらいに熱中し、新しいメディアへの執筆にも挑んでいる。

    *

妻を亡くしたあとの「生き直し」を賭けた山奥での11年間を振り返ることは、まったくない。

考えているのは、今日と明日のことだけだ。

すこし疲れたら、バイクを飛ばして近郊の温泉に浸かりにゆく。

郊外の山には、自然のままに暮らす仔象ラッキーや新しく友達になった野生の仔猿もいる。

たまには、妙齢の美女とも触れ合わねばなるまい。

そうして、さほど遠くない日にタイランドの空と土に戻ってゆく。

心残りといえば、山奥の村のあの雑木林の焼き場から抜けるような青空に向けて昇ることができなくなったこと、だけである。

★クンター、今日のおすすめ!


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